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「伝説の検査官」の遺訓=求めた規律、不良債権問題に区切り
<2020年1月31日>
昨年12月6日、ある金融庁OBの通夜が都内某所で開かれた。亡くなったのは、金融機関から「鬼の検査官」と恐れられ、人気ドラマ「半沢直樹」に登場する検査官のモデルにもなった元統括検査官の目黒謙一氏。72歳だった。当時の4メガバンクの一角、UFJホールディングスに対する特別検査では不良債権の引き当て不足を厳しく指摘。最終的に同社を三菱東京フィナンシャル・グループとの経営統合に追い込んだことでも知られる。振り返れば、1990年代から日本経済の課題だった不良債権問題を終息させた現場指揮官として教訓も多い。
◇追い込まれたUFJ
「目黒検査官には『(大口融資先の)ダイエーに対する引当金を積み増せ』と言われたが突っぱねた。相当むちゃな話だったが、この話はこれで決着だ」。
目黒氏の訃報に接し、UFJを担当していた当時の取材メモを見直すと、金融検査をめぐる金融庁と大手銀行の緊迫感がよみがえってくる。
目黒氏は66年に大蔵省(現財務省)に入省。大蔵省から分割された金融監督庁(現金融庁)で検査官として辣腕(らつわん)を振るい、90年代から「不良債権を見抜く職人として銀行界から恐れられていた」(金融庁首脳OB)と言う。当時を知る金融関係者は「目黒検査官に詰められたら逃げられなかった」と振り返る。
目黒氏の名前は2000年以降、広く知られるようになる。当時は、日本長期信用銀行などの破綻処理を経て金融危機に対するスキームは整っていたが、解決のめどが立たない不良債権問題が日本経済の重しとなっていた時代。大口不良債権の処理に向け金融庁が特別検査に乗り出すと、「突出した検査能力を持つ目黒氏の能力が存分に発揮された」(同)。
冒頭の発言は03年10月下旬、UFJ幹部への取材メモ。UFJに特別検査に入った目黒検査官率いる検査チームは10月9日、内部告発を受け、UFJがダイエーや大京に対する審査資料を隠蔽(いんぺい)していたことを発見。このころから、検査は一段と厳しさを増した。
これに対し「行政訴訟も辞さない」と徹底抗戦したUFJ。冒頭の発言にあるように、03年9月中間決算では、目黒チームの主張を退け上方修正に踏み切った。「赤字転落の可能性は?」。夜回りでの問い掛けを、当時の寺西正司頭取は一蹴していた。
◇時代の転換点
しかし、04年に入ると特別検査における隠蔽(いんぺい)工作疑惑が浮上。ある役員は2月上旬、「疑わしいことはみじんもない。今になってダイエーの債務者区分が破綻懸念先におとされるなんて全く理屈がない」と強弁したが、UFJは追い詰められた。
結果的にUFJは目黒チームの指摘通りに不良債権の抜本的な処理費用として1兆3000億円強の損失を計上。04年3月期に4028億円の巨額赤字となり、寺西頭取らは退陣を余儀なくされた。金融庁は資料の隠蔽(いんぺい)など検査忌避を認定。存続すら危ぶまれたUFJは三菱東京に経営統合を打診、今日の三菱UFJが誕生した。
UFJをはじめとする不良債権問題の決着などを背景に、日本経済は回復基調に転換。これに伴い銀行は過去に積んだ貸倒引当金の取り崩しで利益を計上できるまでになった。
このため、苛烈を極めた目黒検査官の検査について、大手行首脳は「結果としてみれば過剰引き当てだったのは間違いない」と指摘。当事者だったUFJ関係者も「あの厳しい検査はなんだったのかと感じた」と振り返る。
とはいえ、金融危機の最前線で奔走してきた当局OBは「不良債権問題に手探りで対応せざるを得なかった中、目黒検査官の果たした役割は大きい」と述懐。UFJ関係者も「抜本的な不良債権処理をしたからこそ、その後の企業再生につながった」と語るように、目黒氏の検査が不良債権問題の克服に貢献したことは間違いない。
◇緩んだ規律
あれから15年。不良債権問題は過去のものとなった。しかし、危機の芽まで消えたわけではない。19年9月中間決算では、地方銀行102行の不良債権処理費用が計1067億円と前年の2倍に膨らみ、7年ぶりに1000億円を超えた。
もちろん、不良債権問題が社会問題と化した当時とは比べるべくもない。ただ、多くの地銀が超低金利環境で基礎的な収益力の低下に苦しむだけに看過はできない。日銀幹部は「赤字に直結して経営基盤を毀損(きそん)しかねない状況で危機感を持っている」と語る。
こうした不良債権処理費用の増加の一因として日銀が指摘したのが、金融機関との取引が長い中小企業の経営再建の遅れだ。
その遠因として、金融庁首脳OBは09年から13年まで施行された中小企業金融円滑化法を挙げる。同法は、中小企業に対する返済猶予などの努力を金融機関に義務づけた法律。要するにモラトリアムだ。同OBは「案の定、延命されたゾンビ企業が存続できなくなる、というツケが今になって回ってきた」と指摘する。
実際、地銀トップからは「円滑化法により取引先を細かく審査しなくてもよくなり、行員の審査スキルが著しく落ちている」との声が出る。すなわち、「資金の貸し借りにおける企業と金融機関の規律が長期にわたり緩んでしまった」(日銀幹部)という。
金融庁は昨年末、目黒検査官も従った金融検査マニュアルを廃止した。画一的な検査の弊害を廃し、銀行が自主的な判断で取引先を審査できるようにするもので、今後は各行に自立した審査が求められる。そうした中で指摘される規律の低下。目黒検査官が往時、銀行に求め続けたのは厳格な規律だったはず。時代が変わっても、次の金融危機を防ぐための教訓は変わらない。(経済部・川村豊)