女性初の日銀理事・清水氏:仕事こなし、信頼獲得を=次世代にエール
2020年05月26日 15時02分
女性で初めて日銀の理事(役員級)に昇格した清水季子名古屋支店長が26日までにインタビューに応じた。理事就任については「男だから女だからと思わず、とにかく与えられたミッションをこなしてきた。(性別の)壁を克服しようと死にものぐるいで何かを破ってきた、というわけではない」と強調。次世代のリーダーを目指す女性たちには「仕事を着実に、継続的にこなし、信頼を得ることが大事だと伝えたい」と語り、エールを送った。
清水氏は1987年入行。高松支店長やロンドン駐在の欧州統括役などの要職を歴任し、名古屋支店長に就いた。海外と比べ女性登用の遅れが目立つ日銀の中で、女性総合職の「出世頭」として注目を浴び続けてきた。
「女性」という性別が意識されがちな日本の社会については「少しゆがみのようなものがあるのかもしれない」とも指摘する。「性差、国籍などが多様な人々で経済を支える構造になるべきだ」と変革の必要性を訴えた。
労働省(現厚生労働省)の官僚だった父の教育方針で、「女らしさ」を意識せず自由奔放に育った。共学の筑波大付属高校(東京)を卒業し、当時女性がほとんどいなかった東大工学部に進学。都市工学を学んだが、楽しく仕事ができそうだと感じ、日銀に入ったという。「女性だから、と煩わされずに仕事をしてこられたのは父のおかげだ」と笑顔を見せる。
理事昇格は「33年間、日銀で働いてきて一歩一歩進んできた歩みのひとつ」と語り、気負いはない。
主なやりとりは以下の通り。
―理事就任の受け止めと意気込みは。
非常に責任が重いということでまずは身を引き締めている。日銀全体の役割にも目配りが求められる。これまで以上に広い視点から名古屋支店を運営していきたい。
―女性初の理事という点については。
(女性としてということに)特別な感想は常日頃ない。「なんで女性だけ、なんで女性だから」といった思いが途中それほどなかったからかもしれない。ただ、今回は非常に多くの海外の友人をはじめ、直接の面識がない経営者の方々からもメッセージをいただき、正直びっくりした。個人的には日銀で働いてきて一歩一歩進んできた歩みのひとつだと思っているが、ある意味この「女性初」ということでみなさんに知っていただいているというのを改めて感じた。
―日本は女性登用が遅れているが。
国や経済、歴史、文化などによって違うので、一律に数字を比べて日本の社会構造が非常に遅れているとか、問題があるとは思っていない。日本経済がここまで発展して成長してきているというのは世界にも誇れる経済システムを持っているということだ。ただ、今回の新型コロナウイルスの問題にも代表されるように経済の発展メカニズム自体が世界的に変わってきている。性差だけでなく、国籍などいろんな意味で多様な人々が支えていく構造、持続可能性の高いシステムに変えていく必要はあると思う。
―思い出に残る仕事と失敗の経験は。
2007年のパリバ・ショックの際、外国為替の担当総括(課長級)として各国中央銀行の課長と24時間連絡を取り合い、対応を相談した。この経験は非常にためになった。失敗はそこらじゅうでしているが、大変だった経験について言えば、03年頃に金融市場局で企業の売掛債権を担保とする証券の買い入れを検討するプロジェクトリーダーを務めたことだ。理論的には買えなくはないのだが、日本には市場がなく、まずは市場から作る必要があった。内外から「そんな絵に描いた餅のようなことができるのか」と厳しい指摘を受け、当時はちょっと悩んだ。
―次世代の女性リーダーへのメッセージは。
やらなければならないことは男性も女性も同じ。最初の10年はほぼ研修のようなもので、30歳を過ぎてからの20年間、与えられたミッションを着実に、しかも継続的にこなしていくことだ。そしてやっと職場や地域の信頼が得られ、さらに大きなミッションをやらせてもらえるようになる。それこそが職業人として大事なんだということを特に若い女性に対して伝えたい。
―日課は。
中学から大学までずっとテニスをやってきた。いまはゴルフや、水泳と、朝のピラティスは日課にしている。自分は普通の男性より体力がある方なので、それを維持するという点には気を付けている。(了)