サンプル(過去記事より)
バイデン氏もトランプ氏も鉄鋼業界を救いたいが、つぶす可能性もある
地元経営者の独白:米鉄鋼業界の復活は支持するが、関税引き上げは解なのか
政治に翻弄される米鉄鋼業、代償を払うのは米国民
米国の次期大統領の座を競うバイデン現大統領とトランプ前大統領は、多くの点で意見が一致しない。しかし、こと鉄鋼に関しては、両者とも米国企業による米国内での生産を望んでいる。その代償を払うのは米国民だ。
政治に飲み込まれてきた鉄鋼業は、サービス業の比重が高まる米国経済にとって重要ではなく、ほとんど無視できるほどだ。だが、ペンシルベニア州では重要で、その上州民は今後4年間のホワイトハウスの主(あるじ)について、賭け以上の決定力を持つ。2020年、バイデン氏はわずか8万0555票差でペンシルベニア州を制した。その結果、過去数年間の急激なインフレの重圧の下ですでに疲弊している米国民にとってコストの上昇を意味しても、鉄鋼業界は低コストの外国企業との競争から保護されるべきだという超党派の合意が得られた。バイデン政権は、中国の鉄鋼製品に課す関税を7.5%から25%に引き上げる最終決定に近づいている。トランプ氏は、中国製品に対するすべての関税を少なくとも60%に引き上げると述べている。両者とも、ピッツバーグを拠点とする鉄鋼メーカー、ユナイテッド・ステーツ・スチール(USスチール)<X>に対する日本製鉄<5401>の買収案に強く反対している。
しかし、米国内の鉄鋼業を活性化させるには、それなりの代償が伴う。従業員42人を抱えるペンシルベニア州バトラーの精密メーカー、ベルビル・インターナショナルのオーナーであるラルフ・ハード氏は、その犠牲者の1人となるかもしれない。ベルビルはここ2、3年で急成長を遂げ、何トンものステンレス鋼、その他鋼鉄、チタン、その他の金属を、石油掘削業者、電力会社、製鉄所などの企業向けにスプリング、ワッシャー、ガスケット、その他あらゆる部品に加工している。しかし、ハード氏は関税の引き上げによるコスト上昇を懸念しており、「本当に心配だ。川下の製造業は大きな打撃を受けている」と語っている。関税は輸入品の国内購入者が支払う一種の税金で、25%の関税がかかると100万ドルの鉄鋼購入コストは125万ドルになる。
ホワイトハウスは鉄鋼輸入への関税引き上げに動く
トランプ氏は2018年に鉄鋼とアルミニウムに関税を課している。米大手自動車メーカーのゼネラル・モーターズ<GM>とフォード・モーター<F>は、それぞれ10億ドル以上のコスト増になったと発表した。米建設・鉱山機械大手のキャタピラー<CAT>は2018年、最大2億ドルのコスト増になると述べた。米大手家電メーカー、ワールプール<WHR>は3億ドルと見積もり、輸入洗濯機への関税を求めるロビー活動で得た利益が相殺されると述べた。製造業者の失望をよそに、バイデン氏は就任時にトランプ時代の鉄鋼関税を維持することを決定した。
現在、一部の鉄鋼生産者は、この規制をさらに強化するよう働きかけている。バイデン氏はこの春、ピッツバーグを訪れ、中国の鉄鋼輸入に対して3倍以上の関税を課すと発表した。業界幹部はまた、関税をより効果的なものにするようバイデン、トランプ両陣営に働きかけている。
一部の鉄鋼メーカーによると、課税を回避しようとする中国企業はメキシコでわずかな仕上げ工程を加えた鉄鋼を米国に輸出している。米国で昨年消費された輸入鋼材のうち、中国から直接輸入されたものはわずか2~3%だったが、メキシコは15%近くを占めている。バイデン政権は7月10日、メキシコを経由する鉄鋼とアルミニウムの関税逃れを阻止するための対策を新たに導入すると発表した。
USスチールの命運も政治が支配
ハード氏は一部製品の原料鋼材を、ピッツバーグから1時間ほどのところにある代理店を通じて購入している。ピッツバーグにはUSスチールのモン・バレー工場があり、年間290万トンの粗鋼を生産している。本誌が4月に注目株として取り上げたUSスチールは、かつてのような巨大企業ではない。中国は急速な工業化を遂げ、鉄鋼生産者を優位に立たせるように後押しした。現在、中国企業は年間10億トン以上の鉄鋼を生産しているが、米国はわずか8100万トンである。世界鉄鋼協会によると、USスチールの年間生産量はわずか1575万トンで、粗鋼生産量では世界第24位、米国ではニューコア<NUE>とクリーブランド・クリフス<CLF>に次ぐ第3位である。
最近、鉄鋼価格は下落している。買い手が新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)期に積み上がった余剰在庫の処理中であることや、建設業界が高金利の痛手で減速していることが一因だ。今年に入り、鉄鋼価格の指標となる熱間圧延コイルの価格は39%下落している。ウルフ・リサーチのアナリスト、ティムナ・タナーズ氏は「複数の企業が需要を過大評価していたため、特定の種類の製品については、効率の悪い製鉄所を閉鎖せざるを得なくなるだろう」と語る。
製鉄株もアンダーパフォームしている。米最大の製鉄会社ニューコア<NUE>の株価は152ドルまで年初来12%下落している。クリーブランド・クリフス<CLF>とUSスチールは同期間にそれぞれ24%、20%下落した。
ペンシルベニア州ブラッドックにあるUSスチールのエドガー・トムソン工場では650人が雇用されており、巨大溶鉱炉で圧延コイルを生産し、他の地元工場で追加加工が行われる。工場は24時間稼働しているが、近隣は荒廃し、空き家が目立つ。店は閑古鳥が鳴いており、鉄鋼業界の衰退を物語っている。
昨年、USスチールの経営陣は身売りが最善と判断し、買収先調査開始前の株価に140%のプレミアムが上乗せされた1株当たり55ドルで日本製鉄からの買収提案を受け入れた。
買収反対の動き
しかし、USスチールの歴史こそ有権者にとってアメリカン・サクセスと同義語である。多くの政治家にとって、USスチールの日本企業への売却を受け入れることは難しい。バイデン大統領は「USスチールは国内の株主が所有し、国内で操業するアメリカの鉄鋼会社であり続けることが決定的に重要だ」と述べた。トランプ候補は「何としてでも」両社の合併を阻止すると語った。
アレゲニー郡評議会委員で地元の共和党の委員長を務めるサム・デマクロ氏は「『USスチール』なのだ。もし、ニューコアや他の企業の名前であれば、話は別かもしれない。一般の人には、あたかもワシントン記念塔を売却するかのように映るはずだ」と指摘する。
米連邦議会のペンシルベニア州選出議員も同調している。民主党のジョン・フェターマン、ボブ・ケーシー両上院議員はこの春にバイデン大統領へ書簡を送り、「アメリカの鉄鋼業界を中国の不正競争行為から守るために」中国製鉄鋼に対する関税を維持するよう働きかけた。フェターマン上院議員はブラッドックの工場の川向いに住居を構えるが、買収提案を「まったくとんでもない」と一蹴する。
政治的な原動力の一つは、全米鉄鋼労組(USW)による合併反対である。USWは、USスチールが合併相手を決める前にUSWに相談しなかったことは組合協約に違反すると主張する。日本製鉄の森高弘代表取締役副社長はこの春、複数回ピッツバーグを訪問した。日本製鉄が既存の労働契約を維持し、14億ドルの新規投資を行い、労働者のレイオフ(一時解雇)は行わず、合併に伴う工場閉鎖もしないと確約することで、労働組合の支持獲得と政治的反対派を抑え込もうと試みた。
森副社長が最近アナリストに語ったところでは、政治的反対は大統領選後は鎮静化すると考えているとのことだが、USWのデービッド・マコール委員長はそうはならないと主張する。
製造業復活で米鉄鋼産業は再生するか
米国はかつて世界最大の鉄鋼生産国であり、消費大国だった。急成長する製造拠点が大量の鉄を必要とし、鉄道や工場、アメリカ西部の建設に使われた。製鉄の優位性はアジアへ移り、米国はスクラップ鉄の最大の輸出国の一つとなっている。老朽化した洗濯機や冷蔵庫、使われなくなった鉄製機械が溶解後、再生品として利用されるのである。
米鉄鋼産業の凋落(ちょうらく)を食い止められるか否かはバイデン大統領あるいはトランプ氏が製造業全般を復活させられるかにかかっている。バイデン大統領は就任後、半導体やバッテリー、電気自動車(EV)のようなグリーンテクノロジーの国内製造を目的にに歳出法を制定した。Bライリー・セキュリティーズの素材アナリスト、ルーカス・パイプス氏は、そうした支援が継続されれば、製鉄所は活性化するはずだと語る。
バトラーの製造業のオーナー、ハート氏は2018年の輸入関税強化後、地元の鉄鋼サプライヤーはハート氏が部品製造に使用するのと同じ種類の合金鋼の価格を約20%値上げしたと語った。値上げ分の約半分を顧客に転嫁したところ、原材料価格の上昇分を吸収するどころか、顧客はインドや中国の安価なサプライヤーに流れてしまったと嘆く。
ハート氏は地元の鉄鋼産業が競争力を付けることを支持すると語るが、関税でそれが達成できるとは考えていない。「私の質問は次の一手は何かということだ。本当に米国のグローバル競争力を高められるのか、だ」。