サンプル(過去記事より)
岐路に立つドル—ニクソンショック50年
供給過剰で世界的な信認低下のおそれ
ブレトンウッズ体制の崩壊
50年前の1971年8月15日、当時のニクソン米大統領は米ドルと金の兌換(だかん)停止を含む大胆な新経済政策を発表した。以来、世界の金融システムは変動相場制に移行している。とはいえ、ドルは貿易や金融で使われ、富を蓄える基軸通貨であり続け、米国に莫大な利益をもたらしてきた。ただ、次の50年もこれが続くかどうかは、分からない。
当時のブレトンウッズ体制は事実上、第2次世界大戦後の米国の突出した経済力を反映していた。為替レートがドルに対して固定される一方、1オンス35ドルの固定レートで金との交換が可能であった。これは、通貨価値の不安定化や1930年代の通貨切り下げ競争を防ぐためだった。
しかし、ブレトンウッズ体制には、一つの国が固定相場制、自由な資本移動、独立した財政・金融政策のうち二つしか同時に実現できない、という「国際金融のトリレンマ」があった。固定相場制の下では基本的に、自国の経済を相場の固定先の国の通貨に合わせて調整することになる。このため、インフレ上昇あるいは貿易収支の赤字転落といった局面では、緊縮経済政策が必要になる。
翌1972年の大統領選挙と議会選挙をにらんで、ニクソン大統領はそうした制約にいら立っていた。エール大学経営大学院のジェフリー・E・ガーテン名誉教授は最新の著作の中で、「当時のニクソン大統領にとって、再選に向けて最も重要なのは米国の経済成長であり、特に失業率の低下であった」と述べる。
この時、ドルは国際金融市場で危機に見舞われており、米国は緊縮財政と金融引き締めの必要性に迫られていた。しかし、ニクソン氏は1960年の大統領選挙でケネディ氏に敗れた原因が、こうした引き締め策にあったと考えていた。ガーテン名誉教授によると、ニクソン氏はその代わりに、1972年の大統領選挙を控えて財政赤字を過去最大級に拡大させる一方、当時のバーンズ米連邦準備制度理事会(FRB)議長に対し執拗に利下げ圧力をかけた。インフレ抑制に向けては、賃金・物価凍結策を採用した。
揺れ動いた通貨政策
当初は、比較的限定的な為替レートの調整が目標だったが、1973年3月には完全な変動相場制に移行し、それが今も世界で定着している。
その後の1970年代、ドルは軟調に推移した。1970年代のインフレはエネルギー価格の高騰が主な要因だが、これは産油国が下落を続けるドルによる支払いを拒否したことを反映している。1976年に発足したカーター政権当初、財務省は貿易赤字縮小のためドル安を選好した。
1980年代は、当時のボルカーFRB議長が主導した大幅な利上げによって、強力なドル高に転じた。これは、当時のレーガン大統領の成長重視政策と合わせてインフレ沈静化を狙うものだったが、高金利によって米国に海外からの投資が流入した。これは、ドル安を誘導し世界中で拡張的な経済政策を容認する1985年のプラザ合意へとつながる。為替レート安定化に向けた次のルーブル合意は1987年10月に破たんした。米政府がドル高の進行よりドル安を望んだことで、株式市場が暴落したことが原因だった。そして1990年代前半を通じて、ドルは1970年代の水準に戻った。
しかし、1995年に就任したクリントン政権のルービン財務長官(当時)は、強いドルは国益にかなうと宣言し、ハイテクバブル期を通じてドルは上昇した。通貨政策を担当する財務長官の目標は強いドルの持続だが、2000年代最初の10年間を通じてドルは下落し、金融危機の悪化で2008年には底値を付けた。
深刻な不況からの回復は順調には進まなかったが、ドルは2015、2016年には上昇に転じた。その後登場したトランプ政権は、貿易赤字の削減を目的とする保護主義の一環としてドル安を選好した。
しかし、現財務長官のジャネット・イエレン氏は米国の競争力確保のためのドル安政策に反対を表明している(他国の同様の政策についても反対を表明)。
膨張する債務
ブレトンウッズ体制が崩壊してから半世紀の間も、ドルは世界の金融システムで基軸通貨とされてきた。ビジネス用の言語として英語が世界中で使用されているように、貿易と金融で使用されるのは圧倒的に米国の通貨だ。実際、ドルを基軸とした世界金融システムが米国の重要な比較優位性であり、ポルトガルからワインを購入するためにイングランドが羊毛を輸出する古典的な例とは異なり、ドルそのものが世界中が欲しがる米国の主要産品となった。その結果、米国は途方もない特権を享受してきた。他の国々が貿易、金融、および外貨準備でドルを必要とするため、米国は貿易赤字と財政赤字の両方を賄うことが可能だった。
実際、ドルやその他の通貨の発行に制約がないため、世界中で債務が爆発的に増加した、とドイツ銀行のアナリスト、ジム・リード氏は指摘する。これにはプラスの面とマイナスの面がある。金準備に基づいたシステムでは、各国政府は新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)にこれほど迅速に対応することはできず、ロックダウン(都市封鎖)を実施すれば、極めて大きなデフレ圧力および景気後退圧力となったはずだ、と同氏は顧客向けのリポートで述べた。
経済学者のロバート・トリフィンが1960年代に指摘した通り、米国以外の国々が貿易と金融に必要とするドルを流通させるためには、米国政府は国際収支を赤字にする必要があった。逆説的だが、もしドルの供給が過剰になり世界の信認を失えば、準備通貨としての地位を失うだろう。巨大な財政赤字を通貨供給の増加で賄えば、そうした事態が起き得る。リード氏は、税制の思い切った変更をせずに気候変動に対処するための政府支出を増やせば、そうせざるを得なくなる可能性がある、と指摘し「インフレを起こすのは極めて容易だ。支出を増やし通貨供給を増やせば良い。分からないのは、転換点となる通貨供給量だ」と言う。
調査会社マクロメイブンのステファニー・ポムボイ氏はその転換点が近いと感じている。同氏はインフレにより経済弱者の負担が増えるほか、株式市場のバブルが崩壊すれば推定6兆ドルの公的年金制度と民間年金基金の積立不足が拡大し、救済のため、最終的には通貨供給量をさらに増やさざるを得なくなり、そうしたドルの価値の甚だしい毀損(きそん)がドルに対する信認の低下につながるとみる。世界の外貨準備に占めるドルの割合は21世紀初頭には72%だったが、現在は60%を下回っている。
ドルに代わる選択肢
とはいえ、世界の貿易と金融にとって何がドルに取って代わる選択肢なのかは明白ではない。ユーロが外貨準備に占める割合は増加しているが、ギリシャ金融危機では崩壊せずに済んだとはいえ、その欠点は明らかだ。円はマイナープレーヤーであり、ポンドは遠い昔に準備通貨としての地位を失った。
中国が米国に次ぐ世界第2位の経済に成長したため、人民元が頭角を現してきたが、外国為替市場で自由に交換できる通貨ではない。中国の金融システムには、シャドーバンキングを中心にシステミックリスクが存在するが、最も重要な問題は、最近のハイテク企業に対する種々の制限でも分かるように、中国政府には通貨や金融システムに対する完全な統制を止めるつもりがないことだ。
そうすると、ドルに対する代替通貨としては何があるのか。金本位制による制約のない、中央銀行による通貨発行の急増に対する自由市場の回答は暗号資産(仮想通貨)の登場だった。ただ、ビットコインの価格は年初来で50%超上昇したが、4月中旬の高値からは30%近く下落している。こうしたボラティリティーから、ビットコインは投機的な資産であり、交換手段としては役に立たない。
テザーなどの「ステーブルコイン」は取引手段として飛躍的に成長した。コマーシャルペーパー(CP)などのドル資産で裏付けされていると主張しているが、透明性に欠ける。これに対し、中央銀行デジタル通貨(CDBC)の実験が、特に中国人民銀行によって、開始されている。
FRBも電子通貨の研究を行っている。パウエル議長が2期目も続投しない場合、その後任候補になる可能性があると目されているブレイナード理事は、アスペン研究所経済戦略グループ向けの講演で、「ドルは国際的な資金決済で支配的な役割を果たしている。他の主要国がデジタル通貨、CBDCを供給するのであれば、米国がそうしない理由を理解できない。そうした状況を将来続けられるとも思えない」と語った。
善かれあしかれ、半世紀前、世界は実物の金属とリンクした通貨に別れを告げた。ドストエフスキーの神(God)に関する有名な引用をもじっていえば、善かれあしかれ「金(gold)が死んだ今、全てが許される」。今後もドルは基軸通貨であり続け、債務の際限ない拡張が許され続けるのだろうか。その限界がくるまでは、分からないだろう。