サンプル(過去記事より)
バフェット氏と変革者たちをつなぐ見えざる糸
バンガード創業者と投資の神様の共通点とは
今年は手数料自由化から50年

今年の5月は、予想されていたことも思いがけなかったことも含めて、ほぼ毎日のように節目となる出来事が起き、意義深い月として幕を開けた。新鮮なのは、そうした出来事の多くがワシントン発ではない点だ。代わりに注目されたのは、既存の秩序を打破し、自らの道を切り開き、時には庶民の味方となってきた、スケールの大きなカリスマ的ビジネスリーダーたちの物語である。
最初の「花火」は、ウォーレン・バフェット氏による突然の引退表明だ。バリュー投資に特化したヘッジファンド、バウポスト・グループの最高経営責任者(CEO)兼ポートフォリオマネジャーのセス・クラーマン氏は「次のウォーレンなどいない。バフェット氏は、どんな状況でも辛抱強く保有し続けること、そしてアメリカは投資先として素晴らしい場所であることを、人々に思い起こさせてくれる存在だった」と語る。
ところで、今年の「メーデー」50周年を祝うのを忘れてはいなかっただろうか。ここで言うメーデーとは、1975年5月1日にニューヨーク証券取引所がブローカーの取引手数料を自由化したことを指す。当時、伝統的な証券会社は「破局」が来ると予測していた。フェアフィールド大学の白書によると、「モルガン・スタンレー<MS>の会長で元海軍中尉のロバート・ボールドウィン氏が、差し迫る規制緩和をメーデー(国際的な遭難信号)と呼んだ」ことから、その呼び名が定着した(詳細はクリス・ウェルズ著『The Last Days of the Club』参照)。
恩恵を受けたチャールズ・シュワブ
メーデーは、モルガンのような巨大企業を即座に沈めたわけではないが、大きな衝撃を与えた。同時に、この規制緩和は、当時は無名の会社にすぎなかったチャールズ・シュワブ<SCHW>を成長させ、リテール投資家向けビジネスが大成功するきっかけにもなった。最近、創業者のチャールズ・シュワブ氏は、現在約10兆ドルの資産を保有する自社の起源について、「あの年の5月1日は魔法のような日だった。ビジネスを民主化し、誰にでも門戸を開いたのだ。100ドルあれば参加できるようになった」と短編映画の中で振り返っている。
50年前、シュワブ氏は自分のことを親戚や友人に投資を懇願する「嫌われ者」と表現していた。それに応じなかった人たちは「後で後悔することになった」と笑みを交えながら語った。現在、シュワブ氏は同社の第2位株主で、発行済み株式の5.8%を保有し、その資産価値は約89億ドルに上る。
では、チャールズ・シュワブの筆頭株主は誰か。驚くほどのことではないが、インデックスファンドの巨人であり競合でもあるバンガード・グループだ。偶然なことに、バンガードも5月1日に創業50周年を迎えた。バンガードはジャック・ボーグル氏が築き上げた企業であり、ボーグル氏は投資業界のもう一人の巨人だ。ボーグル氏は2019年に89歳で亡くなったが、インデックス投資を広めただけでなく、今や保有資産10兆ドルを誇るバンガードの創始者でもある。インデックス投資に関するボーグル氏の名言には、「干し草の山の中から1本の針を見つけ出そうとするな。干し草の山ごと買え」、「何かしようとするな。ただ、そこに立っていろ」がある。
インデックス投資に注力したことに加え、ボーグル氏のもう一つの天才的なアイデアは、バンガードを投資家による所有構造としたことだ。地域の生協のようなもので、利益を追求せず、代わりに稼いだお金を事業に再投資し、手数料を引き下げることによって、他の運用会社も追随せざる得なくなった。ある分析によると、この「バンガード効果」によって投資家は1兆ドルを超えるコストを節約できたと試算されている。
筆者は1991年に初めてボーグル氏に会った。当時のバンガードの運用資産は800億ドルで、すでに巨人になったと筆者は思っていた。ところが、それはまだほんの始まりだった。もっとも、ボーグル氏の「私の会社のマーケティング戦略は、株主にとって最良の条件を提供することだ。それがうまく機能している」との言葉がそのヒントだったのかもしれない。シュワブ氏と同様、ボーグル氏もまた、一般の個人投資家を助けながら素晴らしいビジネスを築き上げた。
バフェット氏はボーグル氏の大ファンであり、ボーグル氏もまたバフェット氏を高く評価していた。ボーグル氏がバフェット氏の投資手腕と「正しいやり方」でビジネスを行っていることに賛辞を贈る一方、バフェット氏はある年のバークシャー・ハサウェイ<BRK.A><BRK.B>の年次総会でボーグル氏に言及したほか、ボーグル氏に関する文章も残している。
ボーグル氏とバフェット氏がこれほど意気投合したのは奇妙に思えるかもしれない。両氏が提唱し実践したことは、正反対にも見えるからだ。ボーグル氏は個別銘柄を選別してもうまくいかないと言い、バフェット氏はそれを実践し、実際にうまくいった。筆者は、ボーグル氏がバフェット氏を「例外が原則を証明する」典型的な例外だと考えていただろうと推測するが、バフェット氏とボーグル氏には少なくとも一つの共通の誘因、あるいは懸念していたことがある。それは手数料だ。
バフェット氏は2016年のバークシャーの年次報告書で、「何十年もの間、ジャックは投資家に超低コストのインデックスファンドに投資するよう促してきた。ジャックは何百万人もの投資家が、そうしなければ得られなかっただろう、はるかに優れたリターンを蓄財で実現する手助けをしたという満足感を得ている。ジャックは投資家にとっても私にとってもヒーローだ。長年にわたり、私はしばしば投資のアドバイスを求められてきた。私がいつも推奨しているのは、低コストのS&P500指数のインデックスファンドだった。ありがたいことに、わずかな資産しか持たない私の友人らは、たいてい私の提案に従ってくれた。しかし、大金持ちの個人、機関投資家、年金基金は、私が同じようなアドバイスをしても、誰もそれに従わなかったと思う。それどころか、これらの投資家は私の考えに丁重に感謝しながらも、高額な手数料を取るマネジャーの甘美な誘惑に耳を傾けに行ってしまうのだ」と書いている。
バフェットCEOの退任に聞こえる声
バフェット氏といえば、5月最大の出来事に戻ろう。それは、年末にCEOを退任するというバークシャーの株主総会での発表だ。マンガー・トールズ&オルソン法律事務所のパートナー(故チャーリー・マンガー氏もその一人)であるロン・オルソン氏は筆者に、「このタイミングは、ウォーレンらしいサプライズだった」と語った。オルソン氏も今年、28年務めたバークシャーの取締役を退任したため、今回の株主総会はオルソン氏にとっても重要なものだった。オルソン氏は、バフェット氏にとってほとんど腹心のような存在であった。
オルソン氏は、「ウォーレンは常に株主を非常に尊重し、最初からその行動は一貫している。株主総会で発表したのも、まさにその一環だと思った。冷たい公式発表で知るのではなく、何十年もバークシャーやウォーレンとともに歩んできた多くの株主が、その瞬間に立ち会えたのだから」と言う。
バフェット氏という人物を単純に要約しようとするのは簡単ではない。なぜなら、恐らくこの人物を特徴づける最も際立った点は、バフェット氏が単純でありながら複雑でもあるということからだ。バウポストのクラーマン氏は、「ウォーレンを特別な存在にした10の要素について考えると、次々と新しい要素が出てくる。ユニークなのは、恐らくその組み合わせだろう。バフェット氏は経営者であり、また生まれながらの才能を持った優れた投資家でもあった。バフェット氏の株主へのレターには、金融に関する真珠のような知恵、歴史的な引用、ジョーク、そして他では得られない明晰(めいせき)な思考が盛り込まれ、それは皆のレベルを引き上げた。そしてバフェット氏には愛国心があった」と述べた。
クラーマン氏はさらに、「バフェット氏はまた、ぜいたくな生活を送るために事業を行ったわけではない。バフェット氏はバークシャーのオーナーであるにもかかわらず、ネットジェット(バークシャーの子会社が提供するプライベートジェットサービス)に乗ることにさえ罪悪感を覚えていた。バフェット氏が実際に自分のお金でしたことは、それを寄付することだけだ。ある意味、バフェット氏は株を買うことを大衆化した。人々はそれをまねし、そして中にはバフェット氏のようにお金を寄付したいと思う人もいた。そして、他の富裕層にも慈善活動をしてもらうために『ギビング・プレッジ』を設立し、国際的に展開した。バフェット氏はただ模範を示すことで生きてきた、本当に良い模範だ」と続けた。
今年5月は偉大な指導者に思いをはせるとき
バークシャー・ハサウェイの小型版とも言える持ち株会社マーケル・グループ<MKL>のCEOで、バークシャーの株主総会に1991年から毎年欠かさず出席しているトム・ゲイナー氏の脳裏には、スポーツの例えが浮かぶ。ゲイナー氏は、「バフェット氏は60年間通算で、2桁の複利リターンを達成した。それは破られることのない記録だと思う。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)でジョン・ウッデンコーチが全米大学体育協会(NCAA)のバスケットボール選手権で10回優勝したようなものだ。記録を破れないかもしれないが、だからといって他のコーチが挑戦できないという意味ではない。バフェット氏も同じだ。われわれもバフェット氏から学び続けるべきだ。合理性を受け入れ、長期的な時間軸で行動すること。私にとって、それは確かに進むべき道だ」と語った。
バスケットボールの世界でも、米プロバスケットボール協会(NBA)の名ヘッドコーチで、サンアントニオ・スパーズを30年近く率いたグレッグ・ポポビッチ氏が、バフェット氏と同じ週に退任を表明した。
バスケットボールの世界もビジネスの世界と同じように、指導者の大半は平凡かそれ以下だ。何十年にもわたって本当に卓越した存在はほんの一握りだ。今年の5月は、そのような特別な人たちが、どれほど特別な存在であったかを考えるときだ。